万能だけど、落とし穴もある。「私はできる」思想のトリセツ。
さて、本編はなぜか意識低い期のことばかり書いてますが…。そのうちまた視野が転換するので楽しみにしといてください(笑)。今日は読書の話。
理想を高く持とうと思い始めたのは、小学生の頃です。
その時期はとにかく、「すごい人になって褒められたい。みんなをアッといわせたい」これが一番のモチベーションでした。表向きは、「お母さんに家を買ってあげたい」とかね、まあいい子のフリをしまくってたけどw
そして、中学生の時に図書館でこういう本を見つけます。
この本が、私のヤル気をマックスに高めてくれました。ちなみにこの本自体は、私の生まれるずっと前からあったようです。
冒頭にも書かれているように、前編を通して訴えられているのは、「自分はできる」という意識の持ち方についてです。つーかもう、今となってもほんとそれだけでいいんじゃない?と思いますわ。
できると思えたら未来も自由に描けるし、行動もできるし、そのうちなんらかの結果にもなるっしょ。
頑張ってみたり、頑張るのをやめてみたり、モチベーションを高めたり自然にやってみたり…いろんなのを試してみましたが、ベースは「できる」と思えてるか。今でもこれだけな気がしていて。
ここで私は、せっかくやる気になったのに、なかなかうまくいかないな〜という時期を迎えます。問題は2点。
それは…
1:すぐにできるはずと思ってないか
2:なんでもできなきゃいけないと思ってないか
1については…
こないだ、地下鉄で英会話のポスターを見たんですが、
“今年が終わる前に、まだ何もやっていないと後悔しないように。冬の短期集中講座”
的なキャッチが書いてあったんですよね。
そういや、子供の頃、あちこちで見かけたな。短期集中なんちゃら。これってまあ必要な時もあるけど、基本スタンスとしてはアカンと思うんですよねー。
そもそも追いつめられないとヤル気が出ないようなことを、誰かの作ったカリキュラムで一瞬で挽回できるかのように思わせてくれるマジック。
たしかに、特定の狭い結果(資格に受かる)とかなら、できると思いますよ。
でも、それはほんとに特定の結果でしかないんですよね。そもそも、その要点を掴ませてくれたのは誰なのか、ってところ。
実際には、体験から要点を掴んでくしかないんですよね。
ネガティブなことが言いたいわけじゃないんですよ。世の中を見渡して、自分なりにモノゴトの要点を掴めるようになったら、逆に本当に、何でも短期集中でできるようにすらなると思うんです。
ただ、自分の人生がうまくいってる!という実感については、短期集中講座なんてないなと思います。
「最初はなんでも時間がかかって当たり前」なんだと思うんですよ。
受験勉強とか、就職活動とか、限られた期間の中で人から置き去りをくらったとしても、「自分はできない」と思う必要はないんですよね。
でも、はじめからできてるように見える人っていますよね。そういうのを見て「どんだけ最短距離を走ってきたんだろ」「どの道を行けば速いンだろ」って羨むとは思うのですが…人それぞれ、他人からは見えない経験値って違います。生まれが違う、育ちが違う、なんてそれの典型。残念ながら人は不平等です。それを見ずして短期集中ってないよねと。
だから、時間がかかっても「自分としての」経験値を積む。
私的には、これが「私はできる」っていう言葉の意味かなと思ってるわけです。以下の2にも関連しますね。
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次に、2:なんでもできなきゃいけないと思ってないか ですが…
ほんと、これもごくごく当たり前のことなんですが…人によってできることって違うんですよね。これを無視しちゃって頑張りすぎるということは、よくある。
1つや2つ、何か本質を掴んだ人が、その後は何をやってもうまくいく…ってケースはありますが、それにしても最初はまず、たった1つからです。
だから、最初は本当にやりたいことをやろうよって思うんです。
私も、さっきの本
これを読んだときは、セールスマン至上主義みたいな印象を受けます。
「モノが売れるようになればお金も手に入るし、その他のなんだってできる」というような、欧米的な思想ね(笑)。私がひっかかったのはこれだったんです。セールスできないと「できる」とは言えないんじゃないかって。
確かにね、自信があればどんな商品だって売れるってのは体感しているし分かるんですが、本心では売りたいものじゃなかったら?それを嫌々売ってたとしたら、いくら実績があっても本当に「自分に」自信がある人と言えるんでしょうかね?
つまり、人から評価されることをいくら追い求めても、自分の本心裏切ってたらいっこうに自信なんて育たない。自信って「自分を」信じることであって、他者からの評価を信じることじゃないんですよね。
子供の頃から私は「すごい人になって褒められたい。みんなをアッといわせたい」と思って、それを大人になるまで引きずってました。
でも、それって超有名にならなくても、周りの人くらいならいけます。みんなが怠けてる中で人よりちょっと頑張ればいいし、数年続ければそこそこ言ってもらえるんですよね。
でも…その先に何があるの?って自分に問うと、別に心から充実してはなかった。いやむしろ、できない人のダメなところを指摘しては、ギスギスしていたな(笑)。
だから「私はできる」って思う対象は、自分の愛することであるべきです。ええ、あえて「べき」って言っていいかも。なんでもできる、と始めから思う必要なんてさらさらないし、セールス嫌いなら、ムリヤリしなくてもいいんですよね(笑)。ムリヤリやってるから、人にもムリヤリやれ!というオーラ出してしまうしね。
でも、ブログに関しては単に「私は書ける」と思って書いているだけ。
だから、書き続けられます。更新止まってもまた、淡々と。それに、やってることのベースが好きなことであれば、苦手なことの壁がきても(HTMLとかw)なんとかクリアしようと思えますしね。
せっかくできるのに、燃え尽きてはもったいないですよね。どうせなら楽しみたいと私は思うな。
そんなわけで、燃え尽きた経験多数だから、この2点は本当に大事だと思えます。
1:すぐにできるはずと思ってないか
⇒ たとえ時間がかかろうとも、最終的にできるようになれば「私はできる」と思っていい。
2:なんでもできなきゃいけないと思ってないか
⇒ どうせなら「やりたいこと」をやろう。やりたいことできるようになった方が楽しいでしょってだけのこと。