意識高いままでいられる人と、意識高い系(笑)にとどまる人との違い。
これまでの私の「意識高い歴」をつづった記事は飽きてきたので、ここらで一服して違うのを書いてみたいと思います。
黒歴史記事はここからはじまりますので、興味ある方はどうぞー。
そもそも、意識高い系って、褒め言葉にもなれば、揶揄の対象にもなりますよね。
後者は、「あんなに意識高く頑張っちゃってあの人、どうかしたのー(笑)」みたいな。
なんで一生懸命やっているのに、そんな笑いのタネになるのか。そしてそうなればなるほど、この手の人はますますそこから抜けようと、頑張っちゃうわけです(次回の黒歴史記事にも出てきます)。そしてまた、笑われるの繰り返し…。
なぜ分かるのかというと、私自身がまさにそこにどっぷりだったからです。
そして、またひとつのカンチガイが起こります。
「そうか…やつら(周りの人)をアッと言わせるような結果に乏しいから、笑われるんだ。ひとつここはデッカい夢を狙ってやれ!」
そうして更に、背伸びをし続け、自分の首を絞めるチャレンジは続く…。
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いやいやいや…。これは大半の人にとって厳しい。
それに、安定して意識高いままでいられて、評価を受け続ける人でも、別にアッと言うほどの結果が最初からあったわけじゃないんですよね。だからといって「意識高いね(笑)」って皮肉られているわけじゃない。
これ、いろいろとチャレンジした結果、私なりに分かったことを書くと…。
つまり、経験値が圧倒的に違うわけです。当然そこでは、失敗したり笑われたりもあったかもしれませんが、すぐに修正の効く範囲なので、努力次第でカバーできるわけです。
そのチャレンジは、毎日掃除をするとか、筋トレをするとか、人に声を掛けるとか、特段注目されるものですらない。
ただ、そこでの経験値がオーラとなり、余裕となって伝わって、意識高い言動をしても「ほうほう」と一目置かれるんですよね。
このことから言えるのは…
まったく評価を狙ってないかと言われると嘘かもしれませんが…。
つまり、「これをドカンと当てて、ヤツらをアッと言わせてやれ!」みたいなマインドがないんですよね。これって、基礎的な自信がないからこそ出てくる発想。しかもうまくいくと人を傷つけかねない発想なんで、集合無意識的には、うまくいかせないようにいろんな人から働きかけられるんじゃないかと思います。
要するに自分のことばっかりで、全然応援される要素がないわけ。
ああ…いいいい痛い…自分で言っておいて痛いわこれ…。自己評価ばかりを求めて何も提供していないから、私は長らく「意識高い系(笑)」にとどまってたわけよね…。
ちなみに、意識高いままでいられる人って、自分のことは自分で楽しませられるんです。人に求める必要がない。
そこから果たして脱出できたのかどうか?とか、どうすれば後者の人は脱出できるのか?は後の歴史記事に譲るとしましょう。
身近なことから、コツコツと。すぐに見返りを求めない。
経験値は大いに越したことはないでしょうな。