元・意識高い系女子がお気楽主婦に転向しちゃった理由。

絶対に主婦になんかなるもんか!の情熱で突っ走った20年弱の歴史と、そこから判明したことのレポ。

コーチングを受けて感じた、私にとっていちばん大事なこと。

先日、義理の兄夫婦からもらったプレゼント。

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おっされー。さすが関東に住んでるだけありますな。

ちなみに、義理の兄は私より8歳年下なのでいろいろややこしいです(笑)。

 

 

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そんなわけで、続き物記事はいったんお休みして…。

こないだまで私、半年間コーチング受けてたんでその話でもしましょかね。

 

コーチングって言うても、そのクオリティと目指すところにおいては、ほんとーにピンキリありまして。説明は面倒なので、一般的なところはこちらから読んでくださいね。

 ⇒ コーチング - Wikipedia

 

コーチの段階によっても、ただ単に質問攻めにされる感じがする(苦笑)ものから(←いやこれは厳密にはスキルが低いだけ)、短期的な目標設定をしてそれをクリアさせるもの、心からやりたいことを探っていったり、人生の使命を描いてオリジナルの世界をつくっていくものなど、様々です。

 

で、私は今年に入って、後者寄りのコーチングが必要だなと思ったわけなんですが。それはなぜかというと…。

 

 

 

今後も、記事の続編で書いていくと思いますが。私は30代半ばまではほんっと、いろいろと知恵つけて、目標設定してきたわけです。

 

初期には夢の100リスト書いたり。そこから長期目標から中期、短期目標と具体性をあげていって、じゃあ今日なにするかを決めて、スケジュールに落とし込んだり。

目標の基準値をめっちゃ上げてみたり。To Do リストを書いて、やる度に消し込んだり。

 

…ってやってきたはいいものの。ある時気づきました。

 

これって結局、

 

◆誰かが作ったある一定のレールをより効率よく走らされるためのツール

 

なんじゃね?ってことに気づきはじめて…。

 

いや、それでもいいのですよ。それが未体験のことであったり、一度はやってみたかった体験であれば。その中で勝ち上がっていくことにエクスタシーを感じる感覚も分かります。ええ、って言う割には大して勝ったこともないすけど。

私は、その道を志していた時代を指して、「元・意識高い系」と呼んでます(笑)。

 

 

 で、一度その枠やレールの中でやり切って目が覚めてしまうと、やるのがアホらしくなることもあるようです。私はそのタイプでした。

 

ただ、必ずしも目覚めたらいいとは限らないと思いますよ。その先は道なき道ですから…。盲目に一直線に走り抜いてた時には、見えなかった迷いが出てくるわけです。まず、どこを歩いても自由。走っても自由。寝てても自由。自由って最初のうちはいいんですよね。解放的で。やりたくてもやれなかったことをここぞとばかりにやりまくれる。最初はね。

 

が、誰も正してくれないため、これでいいのか分かりません。ホントはいいも悪いもないんですけど、どうしても縛られていた時のクセが出てきます。やってるうちに引き返したくなったり、何かが違う気がして全部壊したくなったり。何をやっていいか分からず、ひたすらボーッとしたり。いっこうに進んでない感じがしたりと、気持ちだけは忙しい。

 

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ただ、私はかつてこっちの道を歩きたいなと望んだんです。システムの一部じゃなく、いつ何を選んでもいい自分。それを自信持って歩んでいける毎日。

 

たとえば私は以前、アパレルにいたわけですが。職業がファッション関係だと、ジャージでその辺歩けないですよね。なんとなく。それはファッションが好きならどうってことないんですが、だんだんとそれって、積み重なって多くなってくるんですよね。本当の自分はそんなスゴいヤツでもないに、「こうでなくてはいけない」ってのが1つでもあると、どうにも自由が阻害されてる感じを受けるわけです。

 

使命感とか仕事に限らずね、好きなときに遊ぶことや、寝たり怠けたりすることも含めて、自分の心のままにできたらどんなにいいだろうって思いました。

 

 

 

そうやってボチボチレールを抜けて進み出したものの…予想通り、やっぱり迷いは出てきます。毎回やろうとしてることは違うんじゃないか?気分次第過ぎて、何のカタチにもならないかもしれない。

 

そこで、自分は本当の本当に何を望んでいるんだろう?ってことを探り、描いたことを実際にリアルにしていくために、今回はコーチングを受けたんですよね。言うなればホント、魂レベルの喜び探しといったところです。

 

 

リッツカールトン京都にて、平日の昼間に。意識高そうな匂いしかしない。

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で、感想でしたよね…一言では言えないってことを重々承知で書きますが。

 

半年のコーチングを受け始めて、一番初期に感じたことが最も大きな価値だったと思います。それは何かというと、

 

◆自分は何らかのご褒美(お金や評価や地位)を求めて、ルールに縛られに行ってる。

 

つまり、本当にやりたい「何か」をやれないでいるのは、その「何か」がご褒美に負けているからなんです。例えば、資格を取って仕事をしようと思えば、すぐに地位らしきものは手に入ります。企業から仕事を依頼される場合もそう。でもその代わり、報酬が約束されてたりします。実績として今後アピールできたりもします。

 

でもその分、行動に縛りも出ますよね。さっきのアパレル店員のごとく「いつもオシャレにしてなきゃいけない」「流行は知ってて当たり前」的な期待値があるわけです。

本来の自分がそうじゃなかったとしても、その資格なり職業に就いてるうちは、ご褒美と引き換えにそのルールや暗黙の了解、空気や人間関係…etcがついて回るわけです。

 

これ、知識では分かってたつもりでしたが…本当に腑に落ちたときは笑ってしまいました。ニンゲン、ほんの少しでも得をすると思えば、そっちに行ってしまうんだな。私もそうだったなぁ〜!!って。でずっと、同じところをグルグルグルグルすんですよ。せっまい世界を。

 

で、みんなそっちに行くわけだから競争になるんです。少しでも早くその情報を知ったもん勝ちとか、次は何がくるかなとか。そうやってどんどんと本来の自分から目的がズレていく。ルールに縛られに行く。量産ニンゲンのでき上がりと。

 

これは居場所やコミュニティを変えても同じなんですよ。フリーランスになったって、考え方が変わんないと同じ。そこにまた競争とルールが生まれるだけ。どう頑張ったって、道なき道は自分でつくるしかないです。

だって道なき道に道があったらおかしいでしょ(笑)。そういう当たり前のことすら、安心と欲を優先すると分かんなくなるんですよね〜。

安心したいってのも、厳密に言えば願望っちゃ願望なんですが…。その安心が人次第で手に入ってるのか、それとも自分次第でなんとでもなるのか、では全然見える世界が違うはずなんです。

 

つまり、私がコーチングを受けて一番心底気づいたこれ↓

 

◆自分は何らかのご褒美(お金や評価や地位)を求めて、ルールに縛られに行ってる。

 

 

この逆をやればいいんですよね。自由でありたければ。

 

「そのご褒美が一切なかったとしても、それでもやりたいことは何か?」

 

って自問自答し続ける。もちろんやるからには、最終的にご褒美が欲しいってのもありますよ。ですが、それよりも少しでも優先したいと思えるか。

 

ここに正直になれるかどうかが、運命の分かれ道なわけです。

 

 

私自身、半年間、いわゆる分かりやすい「得」をしないけども、それでも逢いたい人ややりたいことをやってきました。

絵を見たり、ゲームに1日没頭したり、料理にやたらと時間をかけてみたり、ひたすら海を見続ける1日を過ごしたり、目的1つのために県外行ってすぐ帰ってきたり…。それまで何でもかんでも、ビジネスに結びつけようとしてたことを一切辞めてみました。クライアントさんとも距離を置いたりしてみました。

 

こういうブログもそのひとつです。まあいずれアドセンスとかやるかもしれませんが(やるんかい 笑)、今現在それがなくてもこうやって書けてることに意味があるわけで…。

 

そうすると、本当に嫌々つながってた何かから、一切離れられるんですよね。

それだけでもすごい自由時間が増えました。1つ1つのことを、知識や理屈で知ってるだけじゃなく、ちゃんと感じられる心の余裕が出てきました。そっから、似たようなプロフィールの人とは違うアイデアが出てきつつあります。

 

 

おそらく、若い時からリア充な人は、無意識にこれができてんだと思うんですよ。損得一切関係なく、交流会を開催したり、友達と1日中遊び回ったり、アウトドアで自然と触れ合ったり、複数の趣味に没頭できる。

その経験が、結果的に仕事にも違いを生み出してたりする。それが目に見えないけど、圧倒的な豊かさの違いだと、思ったわけです。けっして、セミナー行ったり資格取ったから得られるもんじゃねえぞ若い頃の私よ、と思います(笑)。

 

私は今、人生を遊び場として経験し直しているところ。さすがに半年でこの経験値が貯まるとも取り戻せるとも思いませんが、貯まった頃にはもう無敵のオリジナリティを持ってるでしょう。もう損得勘定だけでつながってたり、自分を殺す場にいる必要を微塵も感じません。面白そうと思ったらあえて首ツッこむかもしれませんけど。

 

 

そんなわけで、リアルタイムのコーチングの事を書いてみました。これも続き物になってもうたらややこしいと思ったので長くなったけど…また発見があったら書きますね。